彦市   » 人類生存の危機 » ローマ・クラブの見解

 成長の限界についての研究をMITチームに依頼する際にわれわれは、2つのさし迫った目的をもっていた。

1つは、われわれが住んでいるこの世界というシステムの限界と、それが人口と人間活動に対して課する制約について見通しを得ることであった。

今日、人間は従来以上に、人口、土地利用、生産、消費、廃棄物等のあらゆる面で、継続的な、そして多くの場合、加速度的な成長に向かう傾向を示している。

このことの背後には、環境はこのような拡大を許容しうるであろうとか、他のグループに

属する人々が道を譲ってくれるだろうとか、あるいは科学技術が障害をとり除いてくれるだろうといった盲目的な前提がある。

成長に対するこのような態度は、われわれの住む有限な地球の規模とどの程度まで両立しうるのか、また、われわれが築きつつある世界社会の基本的な要請---社会的、政治的な緊張の緩和から、すべての人々の生活の質の向上にいたるまでの----と、どの程度まで両立しうるのか、ということを探りたいとわれわれは望んでいたのである。 

 2つ目は、世界システムの長期的動向に影響を与える支配的な諸要因と、それらの間の相互作用を見出し、研究することであった。

このような知識は、通常行なわれているような一国のシステムの分析や短期的な分析に努力を集中することによっては得られないと、われわれは信じている。

またこのプロジェクトは、未来学の一翼をになうことを意図したものではない。

むしろ現在の傾向、その相互影響力、ならびに生じうる結果を分析することが、当初からの意図であった。

われわれの目標は、こうした傾向を放置した場合に起こるかもしれない世界の危機に讐告を発することによって、そのような危機の発生を未然に防ぐために、政治、経済、社会等のシステムを変更する機会を与えることにあった。

この報告は、以上の目的によく適合している。

これは世界の状況の広範でかつ総合的な分析への大胆な前進であり、その改善、精密化および拡張に今後多くの年月を必要とする一つの接近方法を示している。

しかし、この報告はその第一歩を踏み出したものにすぎない。

ここで検討された成長の限界は、世界システムの有限性によって課せられる、知られている範問内での最大限の物的な限界のみにとどまっている。

実際にはこのような限界は、政治的、社会的、制度的な制約や、人口や資源の不均等な分布や、巨大で複雑なシステムをコントロールする能力の不足などによって、さらに縮小されるのである。

しかしこの報告は、それ以上の意義をもっている。

同報告は、世界の未来の状況に対し示唆を与えることを試み、そのような未来を形成するための継続的な知的ならびに実際的な努力に新しい展望を開くものである。

ローマ・クラブは、この報告の結果を1971年の夏に、モスクワとリオデジャネイロで聞かれた二つの国際会議に提出した。

そこでは多くの質疑と批判が行なわれたが、同報告に盛られている見通しについて本質的な意見の不一致はなかった。

同報告に対する意見をきくため約40人の人々----そのほとんどはローマ・クラブのメンバーであった----に草案を配布したが、そこで加えられた論評の主要点をしるすことは興味深いことであろう。

(1) モデルは限られた数の変数しか扱えないので、研究された相互作用は部分的なものにすぎない。
またこの研究に用いられたような全世界的なモデルにおいては、変数の統合の程度が高くならざるをえない、ということが指摘された。

それにもかかわらず、筒単な世界モデルを用いることにより、基本的な仮定を変化させてその影響を検討したり、政策変更の効果を模擬実験することにより、こうした変化が時間的にシステムの動きに与える影響を知ることが可能になるという点については、ほぼ意見の一致が得られた。

同じような実験を現実の世界で行なうことは、時間がかかり、高い代償を払わなければならないし、また多くの場合不可能である。

(2) この報告はある種の問題を解決する上での科学技術の進歩の可能性を軽視しすぎている、という意見があった。

たとえば、失敗のない避妊法の開発、化石燃料からの蛋白質の合成、事実上無限のエネルギーの発生または利用(無公害の太陽エネルギーを含む)、空気や水からの食糧合成や岩石からの鉱物抽出にこのエネルギーを利用することなどは不可能であろうか、という意見が出された。

しかしながらそれらの開発は、たぶん人口や環境の上での破局を避けるためには間にあわないであろうという点で意見が一致した。

問題は単なる技術的解決以上のものを必要とするようなことがらにあるため、いずれにせよ、技術開発は破局を防ぐよりはむしろ、単にそれを遅らせるにすぎないであろう。

(3) まだ十分に踏査されていない地域で埋蔵資源を発見する可能性は、モデルの仮定より大きいだろう、という意見を表明した人々もあった。

しかし、たとえそれが発見されたとしても、資源不足を解決するというよりは、やはり単にそれを先に延ばすにすぎないであろう。

しかしながら、資源の寿命が数十年延びれば、その間に人間が救済策を見出すことができるかもしれないということは認識されるべきある。

(4) 異なった価値体系を採用した場合の影響のような、決定的な社会的要因を考慮していないことから、このモデルをあまりに「技術主義的」にすぎると評した人々もあった。

モスクワの会議の議長はこの点を、「人間は単なる生物機械ではない」という言葉で要約した。

この批判は正当である。

現在のモデルでは、人間を単に物質的なシステムの中でのみとらえている。

これは、最初の試みである現段階では、妥当な社会的要素を見出してモデルに組み込むことができなかったからである。

しかし、このようなモデルの物質指向的な性格にもかかわらず、研究の結論は社会の価値観を根本的に変更する必要性を示唆している。

 総体的に見て、この報告を読んだ者の大部分は、その基本的な主張に共感している。

そして、もし報告に述べられている主張が(正当な批判を考慮に入れた上でなお)原則として妥当であると考えられるとすれば、その意義ははかりしれないものがあることは明らかである。

このプロジェクトの本質的意義は、全体的な見方にある。

なぜなら、全体に関する知識を通じてはじめておのおのの構成要素を理解することができるのであって、その逆ではないからである。

このわれわれの信念に多くの評者が共鳴してくれた。

この報告は、一国家、一民族のみならず、すべての国の、すべての民族が直面している選択を率直に示し、読者が全世界的な問題にいやおうなしに目を向けることを迫っている。

この接近方法の弱点は、研究の結論が地球全体としては妥当であるが----世界社会の不均質性、国家の政治形態や発展段階の相違がある以上----ある特定の国や地域に対する細部の適用ができない点にある。

実際には、問題となる事象は、緊張状態にある地点で散発的に生ずるのであって、全地球上で全般的に同時に生ずるのではないことは確かである。

したがって、たとえモデルから予想される結果が人間の怠慢や政治的困難によって現実化することになるにしても、それは一連の局地的な危機や惨事としてまずあらわれるであろうことは明らかである。

しかし、このような危機は、世界中に急速に波及していくであろうことも同様に確実である。多くの国や民族は、性急な救済策として孤立主義に閉じ込もったり、自給自足を試みたりしてシステム全休のはたらきをいっそう悪化させるのみであろう。

世界システムの種々の構成要素には相互依存関係があるために、そのような対応策は結局無意味なものとなるのである。

戦争や疫病、産業経済の原料の欠乏や、全般的な経済の衰退などが、連鎖反応的な社会の崩壊へと導くであろう。

最後に、この報告は、閉じたシステムの中での人類の成長の幾何級数的な性質を指摘している点で、とくに高く評価された。

この概念は、われわれのこの有限な地球の未来に対してきわめて大きな意味をもっているにもかかわらず、実際の政治の上ではほとんど口にされたり、認識されたことはなかった。

MITのプロジェクトは、人々がほんのぼんやりとしか意識していなかった趨勢に、合理的かつ体系的な説明を与えている。

この報告の悲観的な結論に対しては、多くの論議がなされたし、今後それが続くであろう。たとえば、人口の増加については、自然の調節作用がはたらき出生率は破局が迫る前に減少すると、多くの人々が考えるであろう。

またある人は単純に、研究で見出された傾向は人知の及ばない問題であって、「何かが起こる」のを待つよりしかたがないだろうと思うかもしれない。

さらにある人は、小規模な政策の変更で徐々に望ましい調節がきき、たぶん均衡状態への移行が行なわれるだろうという期待をいだくであろう。

そしてその他の大多数の人たちは、万事を解決する豊驍の角(ギリシャ神話中でゼウスに授乳したと伝えられる山羊の角)をもつと思われている技術に望みをかけるであろう。

われわれは、この種の議論を歓迎し、むしろ奨励したいと思う。

われわれの意見では、人類が直面している危機の真の規模と、今後数十年の間に達すると予想される深刻さの程度を確かめることが重要なのである。

われわれがこれから述べることは、あくまで暫定的見解であり、まだ考察を加えるべき点や整理すべき点が多いが、つぎの諸点について意見の一致を見ている。

(1) 世界環境の量的限界と行き過ぎた成長による悲劇的結末を認識することは、人間の行動、さらには現在の社会の全体的構造を根本的に変えるような新しい形の思考をはじめるために不可欠のものであることを確信する。
 人口増加と経済成長の相互作用の一部を理解しはじめ、またその両者が空前のレベルに達した現在、人間は、地球の大きさの有限性と、その上での人間の生存と活動の限界を考慮しなければならないということに、やっと気づいたのである。

そして、今はじめて、物的成長を放置することの対価を検討し、成長の継続に対する代替策を求めることが、決定的な重要性を帯びるにいたったのである。

(2) 世界における人口圧力は、現在すでに憂うべき状態に達しており、しかもその分布はきわめて不均衡である。

このことだけからしても、人類は地球上での均衡状態か追求することを迫られている。

 過疎人口地域はまだ残っている。

しかし世界全体を見れば、人口成長は、臨界点に違してはいないにせよ、すでに臨界点に近づきつつあることは他しかである。

もちろん、唯一の長期的な最適人口水準というものがあるわけではない。

むしろ人口水準、社会的・物質的な水準、個人の自由、その他生活の質を形成する種々の要素の間に、一連のバランスが存在するというほうが妥当であろう。

有限で減少しつつある天然資源の埋蔵量と、地球という限られた空間を前提とするかぎり、人口の増加はやがて、生活水準の低下と、より複雑な問題を招来する、という原則を承認しなければならない。

これに反し、人口成長の安定化によって基本的な人間の価値が危険にさらされることはないであろう。

(3) 多くのいわゆる発展途上国が、絶対的にも、また経済的な先進国に比して相対的にも向上する場合にのみ、世界の均衡が実現されるのだということか、われわれは認識する。
またそのような向上は、全世界的な戦略によってのみなしとげられるのであることをわれわれは主張する。
 世界的な努力を欠くならば、今日すでに存在している爆発的な格差と不平等は、ますますその傾向を強めていくだろう。

各国が自らの利益だけを求めて行動を続ける利己主義によるにせよ、あるいは発展途上図と先進国との間の力関係によるにせよ、いずれにしてもこうした傾向は悲惨な結果を生み出さざるをえないであろう。

端的にいって世界システムは、もはやその住人たちの自己中心的な、かつ抗争的な行動を許すほど広大でもないし、寛大でもないのである。

地球の物質的な限界に近づけば近づくほど、この問題へのとり組みの困難さは増加するであろう。

(4) しかしながら、世界的な開発問題は他の世界的な問題にきわめて密接に関連しているので、とくに人間とその環境の問題を含むすべての主要な問題を解決するための全般的な戦略を展開しなければならないことをわれわれは主張する。
 世界人口の倍増期間は30年少々で、それがますます短縮する傾向にあるが、社会はかくも短い期間にかくも多くの人々の必要や期待にこたえることは困難であろう。

われわれは、自然環境を過大利用したり、地球の生命維持能力をそこなうことによって、このような人類の要求を満足させようとしがちである。

それゆえ、人間対環境という方程式の両辺において、状況は危険なまでに悪化の傾向をたどるであろう。

このような悪循環を断ち切るためには、技術的解決のみにたよることはできない。

開発と環境という二つの重要問題を取り扱う戦略は、一体のものとして考えられなければならないのである。

(5) 複雑な世界の問題は、多くの定量化できない要素を含んでいることを、われわれは認識している。

しかしながらわれわれは、この報告で用いられているすぐれて定量的な接近方法は、問題の作用のしかたを理解するために欠くことのできない道具であると信じている。

そしてこのような知識によって、問題の諸要素を把握することができるようになることを期待している。

 世界におけるあらゆる重要問題は基本的に相互に結びついているのであるが、それらのすべてを効果的に扱う方法はまだ発見されていない。

われわれが採用した接近方法は、全体的な人類の危機に対するわれわれの考察を再構成する上で、非常に有用である。

それは、人類社会内部の、また人類社会とその住居である地球との間に存在しなければならないバランスを明確化し、かつそのバランスがくずれたときに生じるであろう結果を感知することを可能とする。

(6) われわれは、現在不均衡状態にあり、かつ危険な方向に向かって悪化しつつある世界の状況を、早急かつ根本的に是正することが、人類が直面している基本的課題であると、一致して確信している。

 われわれの現在の状況は、非常に複雑であり、人間の多様な活勁の反映であるので、純粋に技術的、経済的、または法律的な手段や方策を寄せ集めるだけでは、実際に改善をもたらすことはできない。

社会を成長という目標から均衡という目標に方向転換するためには、まったく新しい接近方法が必要である。

そのような再編成は、理解力と想像力をはたらかせ、政治的、道徳的な決意を行なうための絶大の努力を要するであろう。

われわれは、この努力は可能であると信じており、また本書がそれを可能にする力を結集するための一助となることを望んでいる。

(7) この努力は、われわれの世代に対する挑戦であり、つぎの世代にゆだねることはできない。

この努力は断固として直ちにはじめなければならず、また重要な方向転換がこの10年の間に達成されなければならない。

 この努力は、当初は成長が意味するもの、とくに人口の増加が意味するものに焦点をあててなされるであろうが、引き続いて世界の問題領域全般にとり組むことが要請されなければならない。

われわれは、技術の変化に対応すべき社会変革や、制度や政治、終局的には世界国家組織までも含んだあらゆる段階における根本的な変革の必要性が急速に明白化するものと信じていろ。

われわれの無為無策がもたらすであろう悲劇的な結末を理解するならば、われわれの世代がこの挑戦を受けて立つであろうことを確信している。

(8) 人類がもし新しい針路に向かって踏み出すとすれば、前例のないほどの規模と範囲で一致した国際的な行動と共同の長期計画が必要となるであろう。

 そのような努力は、文化、経済体制、発展段階を異にする全人類の協力を必要とする。

しかし、主要な責任は先進諸国が負わなければならない。

それは先進国がビジョンや人間性に富んでいるからではなく、成長症候群をまき散らしてきたのは先進国であり、しかもいまだにそれに対抗するための進歩の源となっているからである。

世界システムの状況やその作用についてのよりすぐれた洞察が得られるにつれて、つぎのことが認識されるにいたるであろう。

それは、基本的に安定を必要としている世界におけろ高度の発展は、それがよりいっそうの発展のための跳躍板としてではなく、世界の富と所得の分配をより公平に行なうための足場として役だたされる場合にのみ正当化され、許容されるということである。

(9) われわれは、世界の人口増加と経済成長の悪循環にブレーキをかけることが、世界中の国の経済発展の現状を凍結してしまう結果をもたらしてはならないという主張を固く支持する。

 もしもそのような提案が富裕な国からなされたら、それは新植民地主義の最終行為と受けとられるであろう。

世界的規模において経済的、社会的、生態学的な均衡のとれた調和状態を達成することは、万人に利益をもたらすような、共通の信念にもとづく共同事業でなければならない。

そのために先進諸国がリーダーシップを発揮することが必要である。

なぜならそのような目標に対する第一歩は、先進諸国が自らの物的生産の成長の減速を推進すると同時に、一方では発展途上国がその経済をより急速に成長させる努力に対して援助を行なうことにあるからである。

(10) 最後に、偶然もしくは破局によってでぱなく、計画的な方法によって、合理的かつ永続的な均衡状態に達しようとする意図的な試みは、結局、個人、国家、世界の各レベルでの価値観や目標の根本的な変更を基礎としなければならないことを主張する。 

 このような変化はすでにわずかではあるが広まりつつある。

しかし、われわれの伝統、教育、現在の活動や関心事は、そのような変化を妨げ、遅らせている。

このような歴史の転換期における人類の条件を真に理解することによってのみ、均衡状態に到達するために必要な個人の犠牲や、政治力や経済力の構造の変化を受け入れる動機が生まれるのである。

 もちろん、本書やわれわれのコメントが示すほど、世界の状態はほんとうに深刻なのかという疑問は残る。

われわれは、本書で述べられている警告は十分根拠のあるものであり、かつわれわれの現代文明の目的と活動は明日の問題を悪化させるのみであるということを確信している。

しかしながら、われわれの暫定的な評価があまりに悲観的であることが立証されるならば、それはまことにしあわせであるといわざるをえない。

 いずれにせよ、われわれは真剣に憂慮しているけれども、絶望しているわけではない。

この報告は、抑制されないままの悲惨な成長にかわるべき選択について述べ、人類に安定した均衡をもたらすための政策変更について、いくつかの考察を提供している。

また、この報告は、良好な物質的生活と限りない個人や社会の発展の機会を、合理的な規模の人口に確保することが可能であることを示している。

われわれは、純粋に科学的ないしは倫理的な推論のみによっては動かされない程度に現実主義的ではあるが、この見解に基本的に同意するものである。

考え方のコペルニクス的転回を必要とするほど、今までの経験からほど遠い現実であるけれども、経済的ならびに生態学的に均衡した安定状態にある社会という概念は、容易に把握することができるものと思われる。

しかしながら、この概念を実現することは、非常な困難と複雑さに満ちた仕事である。

『成長の限界』という警告とその緊急性が、多くの国で科学的、政治的、大衆的な意見の大部分に受け入れられたときにはじめて、何から手をつけるべきかについての真剣な討議が可能になるのである。

いずれにせよ、その過渡期は苦悩に満ちたものであろうし、人間の真の創意と決意が要求されるであろう。

前述のごとく、ほかに生き残る道がないという信念のみが、この人間の未曽有の事業の開始に必要な、道徳的、知的、創造的な力を発揮させることができるのである。

 しかしわれわれは、安定した状態の社会にいたる計画を立てることの困難性よりは、むしろその挑戦を強調したい。

あらゆる年齢の、あらゆる立場の、予期しないほどの多数の男女が、直ちにこの挑戦に立ち向かうであろうし、この新しい未来を創造することができるか否か----ではなく、いかにしてそれを創造するか、ということを熱心に議論するであろうことを信じている。

ローマ・クラブ常任委員会

    アレキサンダー・キング

    大来 佐武郎

    アウレリオ・ペッチェイ

    エドワード・ペステル

    ヒューゴー・ティーマン

    キャロル・ウィルソン

[引用資料] b1



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初版日時: 2017-03-06 (月) 09:26:26
最終更新: 2018-02-15 (木) 12:57:36 (JST) (6d) by hikoichi