彦市   » 人類生存の危機 » なぜ技術と市場だけでは行き過ぎを回避できないか

 コンピュータ・シミュレーションによるモデルランから学べる一つの点は、複雑で有限な世界において、ある一つの限界を取り除こうとすれば、あるいは、ある一つの限界点を引き上げて成長を続けようとすれば、別な限界が立ちはだかるということである。

とくに成長が幾何級数的な場合は、新たな限界は驚くほど早く現れる。

“現実の世界”にはもっと多くの限界が存在する。

その多くは明確かつ特定できるものであって、地域によって一様ではない。

本当の意味での地球規模の限界というのは、大気中のオゾン層や温室効果ガスなど、ごくわずかである。

 ”現実の世界”においては、各国が成長を続けた場合、各国はそれぞれ異なる限界に、時期も順序もばらばらに到達するだろうとわれわれは考えている。

しかし、一つの場所で複数の限界を連続して経験する場合には、ワールド3(シミュレーション)の行動様式とほぽ同じ動きを見せるだろう。

しかも、つながりが益々強化されつつある世界経済においては、どこであろうと一つの社会がストレス状態にあると、その余波が世界中に伝わる。

自由貿易体制のもとでは、自由貿易世界に属する国々が同時に限界に達する可能性が高まる。

 二つめの教訓は、社会が経済的あるいは技術的適応能力を駆使して、限界を引き延ばすことに成功すればするほど、将来的にいくつもの限界に同時に突入する可能性が強くなるということである。

ここで取り上げなかったものも含めて、ワールド3の大部分のモデルランに見られる傾向は、世界システムは土地、食糧、資源、汚染吸収能力を使い果たしてしまうのではなく、それらを導入するための資本力を使い果たしてしまうというパターンである。

 この他に三つの理由があって、変化が緩慢な社会ならうまく機能する技術と市場のメカニズムでも、相互に関連するさまざまな限界に向かって幾何級数的に突進する社会の問題を解決することができない。

その一つは、こうした調整メカニズム自体にも費用がかかることである。

二つ目は、調整メカニズムそれ自体が、情報の歪みと遅れをともなうフィードバックループによって機能しているということである。 そして、三つ目は、市場も技術も、社会全体の目標や倫理規範や時間枠のもとで働く手段にすぎないという点である。 したがって、目標自体が成長志向で、倫理規範が不公平で、時間粋が短ければ、技術と市場は破局を回避するどころか、かえってその時期を早めてしまう。

 市場と技術の反応の「遅れ」は、経済理論あるいは心的モデルから予想される時間よりも、はるかに長くなる可能性がある。

技術と市場のフィードバックループはそれ自体、行き過ぎや振動、不安定のもとである。

その一つの例が、1970年代と80年代初頭に世界が体験した石油価格の高騰である。

 1973年の”オイルショック”の原因はたくさんあるが、最も根本的な理由の一つが、世界的に見たときの、石油消費資本(自動車、暖房装置、その他石油燃焼機器類)に対する石油生産資本(油井)の相対的な不足である。

70年代初期、世界の油井は生産能力の90パーセント以上で稼働していた。

そのため、中東で政治混乱が生じ、その地域の石油生産が停止されると、世界的に見ればほんの一部にすぎないその生産分を、他の地域からの供給増でまかなえきれなくなった。

市場がとりうる反応はただ一つ、石油価格の値上げだった。

 この時の価格上昇と、1979年に同じ理由で起きた二度目の価格上昇で、経済的にも技術的にも一連の激しい反応が生じた。

供給サイドでは、さらに油井が掘られ、汲み上げ設備も増強された。かろうじて収支をつぐなっていた油田が急に収益性の高いものになり、生産が開始された。

しかし、油井から石油精製所、タンカーにいたるまで、石油生産のための設備を発見、建設、操業開始するには時間を要した。

その間に消費者は、価格上昇に節約で対応していた。

自動車メーカーは、より燃費の低いモデルを開発し、人びとは住居に断熱工事を施した。

電力会社では石油焚き発電所を閉鎖し、石炭焚き発電所もしくは原子力発電所に投資するようになった。

政府はさまざまな形の省エネ指令を出し、代替エネルギー源の開発も奨励した。

勿論、こうした反応が表れるまでにも時間がかかった。

結局、最終的には物的資本に長期的な変化がもたらされた。

 大部分が物的生産や物的資本という形で表れた市場の反応によって、再び需要と供給のバランスが取り戻されるまでには10年近く要した。

その頃にはすでに、省エネ対策も石油生産設備の増強も、かなりの勢いで推進されており、行き過ぎる結果となった。

1982年頃には、減少しつつある消費資本のニーズに対し、生産資本が過大になる事態に陥っていた。

石油輸出国機構(OPEC)は、汲み上げ設備を閉鎖しはじめた。

設備の稼働率は90%から50%にまで落ち込んだ。

世界の石油価格は4年間じわじわと下降し、85年についに暴落した。

 かつて石油価格が途方もなく高騰したように、今度は途方もなく下落した。

石油生産設備が閉鎖され産油国が不況に見舞われるなかで、省エネルギー政策は放棄されてしまった。

より燃費の低い自動車の設計は棚上げになり、代替エネルギー源への投資も干上がってしまった。

このように調整メカニズムがシステムを全速力で反対方向に向かわせて10年ほど経つと、新たな資本の不均衡や石油価格の上昇を生じる状況が整う。

 こうした行き過ぎと過小は、石油市場につきものの反応の遅れによるものである。

こうした事態が生じると、巨額の富が国際的に移転し、多額の債務と黒字、にわか景気と不景気、銀行の倒産などが発生する。

これらはすべて、石油の生産資本と消費資本の相対規模を調節しようと試みた結果である。

この場合、価格の上下動は、実際に地下に埋蔵されている石油の量(着実に減少している)や、石油の採掘、輸送、精製、燃焼などによる環境への影響とは何ら関係がない。

シグナルとしての価格は、油井の相対的な不足と余剰に関する情報を提供するのであって、枯渇が最終段階にいたっていない限り、石油そのものの欠乏を知らせるものではない。

 石油価格など市場のシグナルは、あまりにも騒々しく、遅れが著しいうえに、思惑によって誇張されたり、公共あるいは民間の利益団体による操作が多すぎるため、やがて訪れる物理的限界を世界に明確に伝えることができない。

市場は長期的な見通しに立つことができず、究極のソースとシンクがほとんど使い果たされ、行動が間に合わなくなるまでは、それらに注意を払おうとしない。

経済シグナルと技術的反応は、石油価格の例が示すとおり、力強い反応を引き起こすことができる。

ただ、いずれも地球システムと適切なところで結びついていないため、限界に関する有益な情報を提供することができないのである。

 最後に、技術や市場が用いられる「目的」の問題がある。

技術も市場も手段にすぎず、それを生んだ人間のシステム以上には、知恵や先見性、節度、同情心といったものを本質的に備えているわけではない。

したがって、誰が何の目的でそれを用いるかによって、世界にもたらされる結果が異なる。 もし、つまらないことや、不公平、暴力のために用いられるのであれば、技術や市場はそうしたものをもたらす。

あるいは、有限の地球上における不断の物質的成長というような実現不可能な目標の達成を要求された場合には、結局は作動しなくなるだろう。

また、実行可能で持続可能な目標の実現のために用いられるのであれば、持続可能な社会をもたらすこともできる。

 持続可能な社会を達成するための手段として、技術の進歩と市場の柔軟性は欠かせない。 世界がフロンなしでやっていくことを決めた時、技術のおかげで驚くほどのスピードで移行が実現した。

エネルギー価格が、特定の利益団体に歪められることなく、環境費用も含むようになれば、市場は持続可能で人手可能なエネルギー源の開発を促進するだろう。

われわれは、技術的創造性と企業家精神なくして持続可能な世界が実現できるとは思っていない。

ただし、それだけで十分だと思っているわけでもない。

この他にも、人類社会を持続可能なものにするために求められるべき能力が人間にはある。

[引用資料] b6



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初版日時: 2018-10-13 (土) 00:37:48
最終更新: 2018-10-14 (日) 10:28:30 (JST) (31d) by hikoichi