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結論 :: 彦市

xpwiki13:結論

全文を口語調で書き換えました

分度は一家経済の根本であり、国家経済の要道でもあります。

勤倹の美風を振るい立たせて、推譲の美徳を養成し、善行を奨励し、産業を発展させて、全ての社会福利を増進させることです。

これ以外にも、良い方法があるでしょうか。

今は生活程度が向上傾向にありますが、しかし、貧富の差は縮小せず、収入は依然として増加していません。

従って、人々は経営困難を訴えて、不景気の声が巷に溢れています。

この時勢に、分度を立てて度外を推譲しようとすることは、甚だ難しい事ですが、今日の如く収支の均衡に困難を来す状況は、つまるところ、社会規範が廃退した結果であると信じています。

この対策は大変な事で、城の周りに掘割をつくり池とするたとえの如くで、城郭を築くのは民を守る為でもあります。

分度は我々の堀池であり、城郭であります。

今は、世界の大敵との貨幣戦争が盛んになっていますが、どのようにして守備し、基礎固めし、戦えばよいでしょうか。

国の輸出入の均衡が得られないと、国民の生計にも影響します。

国の生産が発展しないと、国民の仕事も減る結果になってしまうでしょう。

国の消費が多いことは、国民の消費が多いことではないでしょうか。

今日においてこそ、分度の設立を必要としている理由の一つは、この対策のためです。

思うに、我が祖二宮翁の一生は綿衣飯汁に甘んじて、分度を定めて、誠心誠意、力の限りを尽くして度外をつくり、これを推譲し、子孫のために田宅を残さなかったのです。

二宮翁の生涯を振り返ると、郷里栢山に在して、僅か1俵の米で農業生活を始め、後に、藩主大久保候の依頼を受けて、宇津家の領地回復事業に従事するために田宅器材を捨てて、下野の国へ転出して、献身的に働いたにも拘らず、殆ど無一文の身となってしまいました。

何とか一家を支えて露命を繋ぐ生活でも、分度を立てる努力をしました。

10年にわたる苦労の中で、多くの人に分度を計画・指導して、財産を増やす方法を教えていましたが、自分の財産は作りませんでした。

それどころか、藩の政策変更により、分度の仕方を誤解されて加害者扱いされて、追放されて殺されそうになった事もありました。

そして、翁の土地は、藩主に取り上げられてしまいました。

この様な酷い例が、他にあったでしょうか。

思い返すと、そんな辛苦に涙が出ます。

翁の子孫として、1日も忘れることができません。

私は、これを引継ぎ、祖翁の遺した分度思想について、一生をかけて取り組んでいます。

本来の分度の精神は、綿衣飯汁にあります。

富田高慶氏が祖翁の教えを受けて、同様に綿衣飯汁をもって分度を行い、終世まで禄と遺贈を受けませんでした。

ああ、分度、分度あるのみです。

結果として、この分度が実行できれば、素晴らしい業績を得ることができます。

しかし、通常の人では、深く学ぶ能力に欠けるので、翁はが人に教える際には、中庸の分度を教えました。

この難しさ故に、人を責めることはありませんでした。

私の時代になって、相馬公の厚遇に接して、初めて邸宅を構えて耕地を所有できたのです。

これからは、相馬公の恩義に答える事と我家伝来の思考法を自ずから実行して、世間に模範を示せるようにしたいと計画しています。

しかし、実現出来ないかもしれないので、北海道の原野まで訪ねてくる人には、翁が遺した分度思想を伝えるために、全力で取り組んでおり、一家を顧みる暇もない状態です。

翁の歌に曰く「飯と汁木綿着物は身を助く 其の余は我を責むるのみなり」と。

[訳者注]:この歌は「二宮翁道歌解」の第56番にあり、その解説には、「分度思想の実行には大変な覚悟が必要であり、この覚悟がないと大業を成就出来ない。この覚悟さえあれば、才能や学識にとらわれず成功できる」とあります。

孔子曰く「疏食を飯ひ水を飲み肱を曲げて之を枕とす、楽しみ亦其中に在り。吾れ不敏なりと雖も、我道の行はるるを以て楽しみとなす。復た何をか求め何をか望まんや」と。

この論文の内容は、総論で分度の意義を解説し、第2章で貧富の定義を述べ、次いで、分度の必要を説明し、分度の原則、度外の推譲、分度の模範、分度と報徳結社、中庸の分度、報徳の公益です。

順序を追って詳しく説明したつもりでも、余計な説明や言葉足らずがあるでしょう。

また、冗長な表現のために真意が伝わらない個所もあるかもしれません。

これら全てが、私の浅学のせいですが、書くのを止めようにも止められませんでした。

翁曰く「大道は例えば水の如し、能く世の中を潤沢して滞らざる物なり。然る尊き大道も書に筆して書物となす時は、水の氷たるが如し、元と水には相違なしと雖も、少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり。さて、この氷となりたる経書を世上の用に立てんには、胸中の温気を以て能く解して、元の水として用ひざれば、世の潤沢にはならず、氷のままにて用ひて、水の用をなすと思ふは愚の至りなり」と。

この著作も、結果として、水の氷であります。

このままでは、世の中に恩恵を施すことにはなりません。

読者の胸の中で、温めなおして良く理解して頂き、世の中に恩恵を施すことになれば幸いです。



Last-modified: 2018-10-14 (日) 12:18:05 (JST) (60d) by hikoichi