彦市   » 二宮尊徳 » 戦前の道徳教育

二宮金次郎が生まれたのは今から200年近く前です。

この頃からの道徳教育について考察してみました。

江戸末期ですから、「士農工商」と云う階級社会は比較的安定していたと思われます。

武士の子弟は藩校で教育を受けて、道徳教育に関しては朱子学を学んで、指導者に必要な儒教的倫理観を身につけたと思われます。

更に、西洋文化の輸入もあって、文明開化の予兆を感じていたかもしてません。

庶民の子供は、殆どが無学で家業の手伝いで明け暮れていたと思われます。

余裕がある家庭の子供は寺小屋で教育を受けて、日常生活に役立つ「読み・書き・そろばん」を習い、道徳教育に関しては、親孝行とか勤労奨励、倹約思想程度だったかと推察します。

明治時代になって、義務教育の必要性が叫ばれて、先進国の教育事情を見習って庶民にも教育が普及しました。

明治6年には、フランスを見習って、中央集権的な「学制」が始まった。

明治12年には、アメリカを見習って、地方の独自性を認めた「学校制度」が始まった。

明治19年には、教育の義務化を目指して「小学校令」が発布された。

明治23年には、「教育勅語」が発表された。

これが、昭和の太平洋戦争に至るまで、日本の道徳教育の根幹となったのである。

この勅語の内容は、12項目から成っていて、孝行、友愛、調和、信頼、謙遜、修行、学識、公益勤勉、遵法、義勇などを記したものでした。

一言で云えば、模範的な人格を形成する為の教育指針であり、金太郎飴的な人間を育てることで、富国強兵の軍国主義に同調する青年を育成しました。

戦後になって、この「教育勅語」に基ずく道徳教育が戦争につながったと評価されたのですが、記された内容自体には問題ないと思います。

金太郎飴的な教育方法を採用した事と基本的人権である「個人の思想の自由」を無視した事に問題があったのです。

従って、民主主義の現在では、「道徳教育」の必要性について再検討することで、世界に向けて誇れる国民性の構築に資することができると思います。


トップ   差分 バックアップ リロード印刷に適した表示   全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom Powered by xpWiki
Counter: 24, today: 2, yesterday: 0
初版日時: 2017-11-21 (火) 09:33:21
最終更新: 2018-04-13 (金) 18:49:03 (JST) (108d) by hikoichi