彦市   » 近代の国際歴史観を紹介 » 真珠湾攻撃から始まる覇権分析

2014年12月12日

 さる12月8日は、真珠湾攻撃から73年目の記念日だった。

日本では、今やすっかり弱くなった反戦市民運動の「戦争の惨事を繰り返すな」という主張を象徴する記念日の一つとして、ほとんど忘れられつつ、この日が存在している。

米国では、米当局が日本軍の真珠湾攻撃を予期していたのに防がなかった、真珠湾攻撃は米国上層部の好戦派(のちの軍産複合体)が不参戦論をつぶして米国を第二次大戦に参戦させるために日本を引っかけてやらせたといった説が、記念日の前に毎年再登場する。

 米国は、敵を引っかけて自国や同盟国を攻撃させ、反撃する大義を作ったうえで、正当防衛として戦争を開始することが昔からうまい。

1898年には、スペインを中南米や太平洋地域から追い出す目的の米西戦争を起こすため、ハバナ港で米国商船が沈没した「メーン号事件」でスペインに濡れ衣をかけて開戦した。

米国が第一次大戦に参戦するきっかけとなった1915年の「ルシタニア号事件」も、大量の火薬を不正に積んだ英国籍の同船がドイツ軍に攻撃沈没される可能性を知りつつ、米当局は同船に多数の米国人を搭乗させており、ドイツを引っかける目的だったことが感じられる。

 1990年のイラクのクウェート侵攻と、2001年の911テロ事件は、いずれも米国(とイスラエル)が中東で長い戦争を始めるきっかけとして誘発(発生を黙認)した疑いが濃い。

ベトナム戦争につながった1964年のトンキン湾事件も米当局のでっち上げだった。

1950年の朝鮮戦争勃発(北朝鮮軍の南侵)も、米英が金日成にニセ情報を信じさせて南侵を誘発した可能性がある。

 米国は、敵国による侵略を誘発したり、不法行為の濡れ衣をかけ、自国が「正義」の側に立った上で戦争や経済制裁を開始する。

この点をとらえて「米国は悪辣だ」と非難する人も多い。

しかし私には、悪辣なやり方で正義の側に立つ策略自体が悪いことだとは思えない。

国際政治は昔からそのような表裏がある。

国家や国際政治の場だけでなく、社会一般に古今東西、野心を持つ人の多くがこの手の偽善策を試みてきた。

分析すべき要点は、国家戦略の悪辣さでなく、そうした策略を通じて何を実現したかったのかを考える目的分析の方だ。

911テロ事件が米当局の自作自演だったことを多くの人々に理解してもらうことよりも、米当局が自作自演的に911事件を起こした目的が何だったのかを考えることの方が重要だ。

 第一次大戦後、真珠湾攻撃が起きるまで、米国の国際戦略は、国際政治への関与に消極的な「孤立主義」の傾向が強かった。

米政界の好戦派は、日本に真珠湾を「奇襲」させて日米戦争を勃発させることで、米国を孤立主義から引っ張り出し、日独伊と米英仏が戦う第二次大戦の構図を作った。

真珠湾攻撃は、米上層部の「孤立主義者」と「国際主義者」の対立の中で、国際主義者を一気に優勢にする効果があった。

 第二次大戦前の米国の孤立主義者と国際主義者の対立は、第一次大戦の終わり方に起因している。

第一次大戦は、それまで世界を支配してきた覇権国の英国が、後から台頭してきたドイツに経済的に抜かされ、ドイツが政治的にも英国をしのごう(覇権を英国から奪おう)と競争対立する中で起きた戦争だ。

米国は当初、参戦せず傍観していたが、英国が戦後の世界体制として米国が好む植民地解放(民族自決の原則)と国際連盟の創設に同意したので参戦した。

国際連盟(とその後継機関である国際連合)は、植民地から独立した新興諸国を含む全世界の国々が1国1票の国際民主主義に基づく世界政府的な機関を運営する体制を目指している。

 米国の参戦で、第一次大戦は米英が勝利し、約束どおり国際連盟が作られた。

しかし連盟の運営は英国が牛耳り、結局のところ米国が目指した国際民主主義的な世界政府は実現せず、戦前と同様の、英国が他の列強を誘って英国好みの世界支配を続ける結果になった。

何百年も欧州の国際政治に揉まれ、他の列強より少しだけ強い状態を維持することで隠然と覇権(大英帝国。パクス・ブリタニカ)を百年以上維持してきた英国は、新興国の米国よりもずっと国際政治の技能に長けていた。

老獪な英国は、米国に「戦後の世界体制を好きなように変えて良いから、参戦して助けてくれ」と持ちかけて大戦に勝った後、米国好みの国際民主主義的な世界政府を形だけ作り、それを裏から牛耳り続け、英国覇権を維持した。英国に騙された米国は、もう英国に協力しないという意味で、欧州の国際政治に関与しない孤立主義の立場をとった。

 米国は「人道主義」「民主主義」を重視するので、国際連盟(や国際連合)を通じて1国1票の国際民主主義体制(世界政府)を作ろうとしたと考えられがちだが、私は米国が理想主義でなく経済的な、もっと深い動機を持っていたと考えている。

植民地を最も多く持っていたのは英国であり、植民地の独立や民族自決の原則を進めていくと最も割を食うのは英国だった。

1国1票の世界政府では、英国とその談合仲間である列強諸国の支配が弱まり、新興諸国が数の力で世界を動かしていくことになる。

米国が第一次大戦で目指した植民地独立や国際連盟の創設は、大英帝国の解体、英国覇権の崩壊を意味していた。

 米国は、英国から最初に独立した新興国の兄貴分だ。大英帝国を解体して無数の新興諸国が独立することは、米国の分身を世界中に作ることにもなる。

これは「米国革命」とも言うべき動きだ。

この革命は第二次大戦の終結とともに達成された。

American Revolutionは英国との独立戦争を意味するが、その戦いの延長にあるのが米国による大英帝国解体の策謀だ。

米国が大英帝国を解体して無数の新興諸国を生み出す世界革命をやった理由は、米国が新興諸国を支配したいという政治的野心だけでない。

もっと経済的な野心が大きい。

大英帝国が維持されることで抑えつけられていた植民地を解放して経済成長を実現し、米国の資本家が新興諸国に投資して儲けられる新しい世界体制を作りたかったのだと考えられる。

第二次大戦前の米国の、中国に対する寛容な政策を見ると、特にそれが感じられる。

 二度の大戦で、ドイツは英国と敵対して勝つことで大英帝国を解体しようとした。

対照的に米国は、戦後の大英帝国の解体を条件に英国に協力して参戦することで、帝国を解体しようとした。

ドイツは2度敗戦して失敗し、米国は2度参戦して勝った。

しかし2度目の戦勝後も、1度目と同様、英国は戦後に米国を出し抜き、帝国の解体を防いだ。

第二次大戦後、約束どおり国際連合が作られ、今度は本部をニューヨークに置いて米国が監督することで英国の隠然支配を禁じた。

しかし英国は、国際連合の中心に位置していた米英と中ソの協調体制(安保理常任理事国体制)を、冷戦を引き起こすことで壊して国連を無力化した。

 英国は、米国の軍事産業に対し、ずっと儲けを続けられる恒久戦争として冷戦体制を売り込み、冷戦体制という恒久有事体制を通じて軍産英複合体が米国のマスコミを握れる状況を作り、米国民に冷戦思考を植えつけた。

大英帝国は、軍産英複合体やNATOに形を変えて維持された。

歴史区分でいうと第一次大戦以後の時代が近現代(modern)であるが、近現代の歴史の隠れた中心は、覇権運営をめぐる英米間や英米内部の暗闘・相克である。

日独や中露は脇役でしかない。

米英の相克の本質は、経済成長をめぐるものだ。

英国や軍産複合体の利益に立つと、大英帝国やその後継である冷戦体制が永続することが好ましいが、それは米英が敵視する地域の経済成長を抑止する。

18世紀に英国で発祥した産業革命が英国内だけにとどまっていたら、英国だけが強国になり、英国が世界を支配し続ける体制を維持できただろうが、歴史はそのように展開していない。

産業革命はすぐに欧州大陸や世界に広がった。

産業革命を世界に広げたのは資本家だ。資本家は、英国の国益よりも世界経済の成長によって自分たちが儲かることを望む。

 大英帝国や軍産複合体の戦略は、英国だけ、西欧だけ、西側だけが経済発展する策だ。

東側、途上諸国、今でいうBRICS諸国の発展は阻害される。大英帝国や軍産複合体の利益を「帝国の論理」、資本家の利益を「資本の論理」とみなすと、人類の近現代史の根底のあるのは、帝国の論理と資本の論理の相克である。

人権や民主主義は、その利権上の相克をきれいごとにして人々を動員するための詭弁である。

人権好きの人々は資本家に騙されている。 (資本の論理と帝国の論理)

 帝国と資本の相克は当初、英国内で起きたはずだ。

帝国の側は、新興勢力である資本家に貴族の地位を与えたりして懐柔を試みた。

しかし資本家の一部は、英国から独立した米国のニューヨークにわたり、そこで大英帝国つぶしを策謀した。

第一次大戦が長期化し、英独をはじめとする欧州の列強どうしが自滅的な戦争に陥ったのは、米英の資本家たちが敵対する列強の両方に戦費を供給し、世界中に植民地を持っていた欧州を自滅させ、宗主国の弱体化を見て植民地が独立して新興諸国になり、産業革命が欧州から世界に拡大し、世界中が経済発展して米欧の投資家がそこに投資して儲ける構図を新設しようとしたからと考えられる。

第一次大戦後、米国は孤立主義の態度をとりつつ、米資本家はこっそりナチス政権下のドイツに投資していた。

米国の投資家は、ドイツを再台頭させて再び英国と戦わせ、世界大戦を再誘発し、英国のせいで失敗した国際連盟に、米国主導の国際連合が取って代わることを準備した(しかし戦後の冷戦で再度英国にしてやられた)。

 人類の近現代史の中でもう一つ重要な裏事情は、米国の資本家がソ連(ロシア)や中国をこっそり支援してきたことだ。

ソ連が主導した国際共産主義運動は、大英帝国を解体して無数の新興諸国を作る米国革命の別働隊として機能してきた。

トロツキーはロシア革命時、亡命先のニューヨークから船に乗ってモスクワ入りした。

大英帝国など列強の植民地がぜんぶ解放されていく中で、国民国家になるのが難しい国々は「国民」の代わりに「人民」の概念を使う(かなりインチキな)疑似民主主義である社会主義体制を導入した。

米国革命とロシア革命が絡み合いつつ、大英帝国を国連的な世界政府に再編していくのが、ニューヨーク発の米国革命の全容だ。

第二次大戦後に英国が画策して開始した米ソ冷戦は、痛烈な「反革命」だった。

冷戦開始で、米国革命はいったんつぶされたが、ニクソン訪中以後に復活した。 (覇権の起源(3)ロシアと英米)

 かつて中国革命の「父」である孫文は、米国(ハワイの華僑の兄ら)から資金援助され、米国の軍艦に乗って広州に帰国した。

孫文の跡を継いだ蒋介石の息子である蒋経国はソ連に留学した。

中華民国は、米共和党の流れをくむと同時に社会主義をも標榜し、まさに米国革命とロシア革命の間に生まれた子供だ。

中華民国の歴史には、共産党との内戦に負けて台湾に逃げた後、軍産複合体に頼って極度の反共に転じるという後日談までついており、近現代史の裏街道そのものだ。

 中国共産党が内戦で国民党を破って中華人民共和国を建国した後、米政府は中共と和解して国交を結ぶことを構想していた(中国白書)。

しかし米国上層部では軍産英複合体がそれを阻止すべく、金日成をそそのかして南侵させ朝鮮戦争を勃発させた。

冒険野郎の毛沢東も乗せられて中国軍を北朝鮮支援に行かせ、軍産英複合体の思惑どおり米中が仇敵どうしとなった後、朝鮮戦争は開戦前と同じ38度線で停戦する茶番劇で終わった。

米中が再び敵対を解いたのは、米国の上層部で軍産のふりをした資本家側勢力(隠れ多極主義者。その後のネオコン)が過激にベトナム戦争をやって大失敗させ、その後始末の名目でニクソン大統領が訪中してからだ。

人類の近現代史は、今に至るまで帝国と資本の相克が本筋だ。

 話が拡散したので元に戻す。

こうした近現代史の本質的な流れの中に、わが日本の存在を組み入れていくと、なぜ米国が日本に真珠湾攻撃をさせて日米戦争を誘発する必要があったのかが見えてくる。

米国(米英)が、戦前の日本を倒さねばならなかったのは、日本が「軍国主義」「帝国主義」だったからでない。

帝国は欧州にいくつもあった。

イメージ戦略の巧拙はあるが、当時の欧米は日本に劣らず軍拡重視だった。

米国の分析者は、当時の米国が、日本の満州支配を非難する一方で、同時期にあったソ連の外モンゴル支配や、中国の新疆支配強化を非難しなかったと書いている。

 米国が日本をつぶさねばならなかった理由は、欧州が大戦で自滅すると、アジアでは、宗主国である欧州列強の支配力が低下して中国や東南アジアなどの植民地状態の地域が独立して新興諸国になって経済発展するという資本家好みの「米国革命」の展開になるのでなく、欧州列強が去った穴を日本が埋め、中国や東南アジアがぜんぶ日本の植民地(影響圏)になるだけで終わるからだ。

米国革命の最初の試みだった第一次大戦の時、日本はうまく立ち回り、漁夫の利でアジア太平洋の支配力を急拡大した。

米国の資本家が欧州で2度目の大戦を誘発するなら、その際に日本に漁夫の利を与えてはならなかった。

 第二次大戦で日本が中立もしくは米英側に立って参戦したら、英仏独ソが欧州戦線で疲弊するのをしり目に、日本は満蒙・新疆からインドまでの大東亜共栄圏を本格的に確立し、戦後の世界で米英の言うことを聞かなくなっていただろう。

米国としては、せっかく世界的な大英帝国を解体しても、代わりにアジアが大日本帝国のものになるのではダメだ。

大英帝国を維持したい英国も、帝国を解体したい米国も、第二次大戦をやるなら日本帝国を独伊の側で参戦させてつぶす必要があった。

この点で米英の利害が一致した。

 そもそも戦前の日本は、英米(欧米)にとって「予期せぬ帝国」だったと考えられる。

英国は、海洋のルート(スエズ運河、インド洋)からアジアを支配したが、極東に来て、大陸のルート(シベリア鉄道)からアジアに出てきたロシアと対峙した。

英国は、産業革命(富国)と国民国家革命(強兵)を併せ持った日本の明治維新を支援して、日本が急速に近代国家になることを誘導し、ロシアに対決できる親英的なアジアの国にした。

しかし英国は、日本が独自の帝国になって英国を含む全列強をアジアから追い出そうとするところまで行くと予測していなかったのでないか。 (覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワーク)

 日本は歴史的に、外来の技術や制度を自国に合わせてコピーするのがうまい。

奈良平安の日本は中国の国家制度をうまく採り入れたし、戦国時代の日本はポルトガルが火縄銃を種子島に伝えてから短期間で世界最大の鉄砲所有国になった。

明治維新後の日本は、短期間で産業革命(工業化)を成し遂げ、国民国家制度もすぐに定着した。

その後、欧州の列強を見習って帝国主義の戦略まで採り入れて大陸に進出したが、政治面で慎重にやらず不勉強でもあったので、米英に引っかけられて惨敗する結果になった。

当時の日本政府は、米国が簡単に孤立主義から日米開戦に転換すると予測しなかったし、ソ連や中国と米国が裏で革命的につながっていることも軽視していた。

日本人は昔も今も、米ソ両方の革命が隠し持つダイナミズムを理解していない(教条的、表層的に論じる人ばかりだ)。

 日本は劇的な敗戦後、米国の監督下で軍部や政界が権力から排除され、外務・大蔵主導の官僚機構が権力を握った。

彼らは、日本の何が悪かったのですか、これからどうすれば良いですかと米国側に尋ねたに違いない。

米国側はたぶん、産業革命や国民国家化は良かったが帝国化がまずかった、今後は帝国(地域覇権国)を目指す要素(国際的な諜報力、政治力、戦略立案力、地政学分析力など)をすべて排除しなさいと忠告しただろう。

戦後の日本は、米国の忠告を忠実に守り、国際的な分析力が非常に低く対米従属以外の国際戦略を採れない国であり続けている。

 最近の日本政府は、首相の靖国参拝や「戦争犯罪」否定、有事法制強化など、日本帝国の再来を思わせる動きをしている。

日本は戦前に戻るのか?。

そうではない。むしろ逆だ。

日本政府は、自分たちが先の戦争を肯定するほど、国際政治上で不利になり、中韓が日本と組めなくなり、日本の国際政治力が低下することを知っている。

戦争肯定は、米国が日本と中韓を協調させて日本から出ていくことを困難にするし、日本が国際社会で一人立ちできず、弱体化しつつ対米従属を続けるしかない状態に追い込んでいる。



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初版日時: 2017-10-18 (水) 22:00:58
最終更新: 2018-10-14 (日) 11:54:50 (JST) (33d) by hikoichi