彦市   » 転職自分史 » 7。T電気保安協会に勤める

職業人生の仕上げ

和・洋・中の職場体験

予ての構想通りに「和」と「洋」の職場体験をしていたので、残る「中」の職場としてT電気保安協会を選んだ。

財団法人であったので、公務員に準じた職場であろうと推察したからである。

青年時代に第3種電気主任技術者資格を取っていたので、知人を通して就職活動をした。

知人とは、かつて自営していたM防災会社で非常勤の属託として契約していた人で、当時は、電気主任技術者として自営しておられたので、その人からT電気保安協会の専務理事を紹介してもらった。

5月から勤務することになり、配属先は中川区の事業所であった。

電気技術者不足

T協会の人事制度は、職員の身分が3区分されていた。

職員1が子飼いの社員で、18歳から60歳まで、高校電気科の新卒を採用して社内教育していた。

職員2が中途採用者で、50歳から65歳まで、有資格者を大企業から供給してもらっていた。

電力会社、製鉄会社、国鉄などの出身者が多数を占めていた。

属託職員が再雇用組で、65歳から70歳まで、1年毎の契約であった。

私の場合は、職員2で採用されたが、前歴が他者と違っていたので、孤立しがちであったが、副所長の協力があって何とか乗りきれた。

入社後に分かったことで、どの事業所も有資格者が不足しており、オーバーワーク状態であった。

2年後には、新聞広告で募集する状況にまでなった。

親切な技術指導

現場でのマン・ツー・マン指導

私の職務は、同僚と同じ数の顧客を受け持たされることになり、同僚のオーバーワーク分を削って数合わせされた。

従って、顧客の地域分布が広範囲となり、また対応しずらい顧客がいくつも含まれていた。

しかし、導入教育が徹底していて、担当者同士の引き継ぎやマンツーマンでの現場指導が完璧であった。

定期的な集合技術教育

高圧電気の事故は、人命に関わるし、漏電や火災事故は周囲の需要家へ停電が波及する。

従って、作業ミスは絶対に許されない。

このため、技術センターで定期的に集合教育が行われていた。

全事業所より対象者を指名して、2~3日の缶詰め教育であった。

高齢者と壮年者の業務分野

職員1の壮年者はグループ作業で全停電状態での精密点検を担当したり、試験業務と称して、スポット的な契約による外部の大規模な電力需要設備を点検する。

職員2の高齢者は単独作業で、受け持ちの顧客に対して定期的に巡回点検したり、顧客の安全な電気使用を指導する。

当宿直制度

休日と夜間の事故対応の為に、2名体制で休日の当直と夜間の宿直が実施されていた。

入社間もない私も対象にされて、先輩と組んで、月2階の当番をこなした。

事業所全体の顧客が対象であるから、かなり広範囲で業種も多様である。

これは、経験を積まなければ出来ないことで、苦労もあった。

私は、防災や警備で土地勘があったので、緊急対処には余裕があった。

故障対応車に修理機材が積まれてあって、留守番電話をセットしておき、留守中の電話は故障対応中でも確認できるコマンダーを持って出動した。

10年後にナビゲーターが設置されたが、当時は住宅地図を見ながら対象の物件を探した。

お客さま本位の姿勢

財団法人の法改正

平成19年に法律改正があって、財団法人が公益と一般に分けられた。

T協会は一般財団法人となることになった。

従来の特典が減って、株式会社に近くなると言われていた。

3年の移行準備期間があったので、競争力強化の為に体質改善が実行された。

同業者間の競争激化

株式会社組織の同業者との競争を予想して、顧客サービスの向上策が具体化して、まず呼び名が、「顧客」から「お客さま」に変わった。

同時に、社員の意識転換を目指した勉強会が開かれたり、「出前講習会」と称して、受け持ちの客先に出向いて、お客さまの従業員を対象とした電気安全取扱いの講習を実施することになった。

そして、契約メニューが複雑になったり、作業の合理化や省力化の為の代替手段が導入された。

パソコン活用とコンサルタント業務の追加

当然に、私たちの負担も増加した。

まず、サービス精神の向上についての再教育が行われた。

パソコンとプリンターを持参して、客先で点検結果を報告するように作業変更された。

また、コンサルタント業務が追加されて、お客さま本位の電力料金節約について指導しなければならなくなった。

出前講習会のスライド作成

「出前講習会」を開催するには、前もってお客さまとの調整や講師としての準備が必要であった。

このため、上司から実施を迫られても、担当者は積極的に動かないし、お客さま側もそれほど必要性を感じておらず、素人講師では中途半端な結果に終わっていた。

そこで、私は自分用に教育資料を作成することを思い立って、このスライドを作成した。

そして、同僚も利用できるように、CDに複製して提供した。

しかし、利用者は殆どなかった。

それは、「出前講習会」が殆ど開催されなかったからである。

(詳細は、私のホームページのアーカイブに「電気安全の知識」として残してある)

http://hikoichiro.jp/elec/e_anzen/denki-1.html

嘱託社員

65歳で定年

入社後12年経過してから、自宅に近い南区の事業所に移動した。

それまでは、通勤時間が60分であったが、その半分の時間に短縮した。

親の介護が始まったからであった。

そして、ここで3年間経過して65歳となり、停年の退職金をもらった。

嘱託社員で70歳まで勤める

停年となる前に、会社都合と本人の希望が話し合われて、停年と同時に属託社員として契約した。

勤務時間が短縮されて、週2~3日で月15日の勤務となった。

そして、受け持ち軒数が75%に減り、大規模物件が外された。

当然のことで、給与も75%となって、ボーナスはゼロとなった。

私は、健康維持に心がけて、プールに通い始めた。

毎年契約更新して、満70歳まで働き続けた。



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初版日時: 2018-04-17 (火) 18:00:03
最終更新: 2018-10-11 (木) 19:43:51 (JST) (36d) by hikoichi