彦市   » 転職自分史 » 3。M電気工事会社に勤める

電気制御の実務を習得

就職面談

昭和47年5月に退職して、すぐに新聞募集していたM電気工事会社を訪ねた。

この会社は大阪に本社があって、品川区に東京営業所があった。

全く知らなかった会社で不安もあったが、腰掛け的な就職であるので、会社規模とか労働条件は二の次であった。

近くの喫茶店に妻を待たせておいて、単独で面接に及んだ。

面接では、脱サラの時代背景を話して、「将来は独立して事業家になりたい」と正直に伝えた。

所長は営業畑らしく太っ腹なタイプで、にこやかに応対されて即決された。

後で妻から聞くところでは、喫茶店ママからの会社評価はあまり良くなかった。

同僚から学んだこと

入社して最初の印象は、私より若い技術者が忙しく働いており、見習い社員として甘えてはおれない雰囲気であった。

業務実態は、殆どが下請け的な仕事で、雑多な業務を各担当者が個人プレーでこなしていた。

現場作業は、再下請けの電気工事業者が受け持っていた。

社員は数名であったが、全部が中途入社で、年齢も20才から45才の範囲であった。

各人が夫々の得意分野を持っており、所長が臨機応変に仕事を割り振っていた。

私は低姿勢にして、言われたことを実行することを心がけた。

社員は、お互いの前歴を話さないし、知らない分野には口出しをしないようで、仕事中の話し合いは少なかった。

私は、若い人から教えてもらう立場であったが、実際には聞きづらいものであった。

3ヶ月過ぎた頃から、お互いの気心が知れて、自己の弱点も見せられるような雰囲気になって、居心地の良い職場に変った。

住まい

住まいは替わること無く、同じ場所に居つづけた。

3年ほど前に、木造社宅を取り壊すことになって、多くが戸塚社宅に移ったが、私の場合は妻の勤めの関係があって、近くのマンションを借り上げて便宜を図ってもらい、他の社員と離れて住まっていた。

退職により一旦は契約解除になったが、会社の計らいもあって、個人で再契約できた。

印刷機械のメンテナンス

新入りの初仕事は、T印刷会社のラベルパンチャーをメンテナンスすることであった。

この機械は、ビール瓶のラベルを打ち抜くもので、数台が稼働していた。

ドイツ製の機械で、既に印刷されたロール紙をセットして、印刷面がずれないように高速で1列20枚づつ打ち抜くものであった。

最初の日は、発注会社の技術担当者に同行してもらって、親切に説明を受けたが、2回目からは一人で訪問することになって心細い思いであった。

DIN規格で描かれたドイツ語の回路図であって、リレーのソケットが日本のものと異なっていて、図面を理解するのに苦労した。

建設用エレベーターの組み立て

これも下請仕事で、発注会社の担当者に同行してもらった。

ラック・ピニオン式で、柱を継ぎ足しながら自走して組み立てる特殊なエレベーターで、スエーデン製の輸入品あった。

とび職人と3人で組んで、組み立て資材を載せて最高位置まで自走し、金網製のケージの外に出てラックと周囲の保護枠を継ぎ足し、停止用のリミットスイッチを移動することで、更に一段上昇できる。

この作業を繰り返して、高さ20mを超えるエレベーター設備が完成した。

建物本体の建設に先立って設置するので、このエレベーターだけが塔の如く目立つことになった。

建物建設時に資材を運搬する目的であるので、建物が完成する前に撤去される。

作業を終わってドラム缶風呂に入り飯場の仲間と酒を酌み交わした。

作業中は肝を冷やしたが、私にとっては貴重な体験となっている。

プレス機械の移設

大型油圧プレスの移設工事も手伝った。

これは先輩社員が重量物運搬業者を手配して、トレーラー車で運搬した。

現地では、据え付けてからの電気工事作業が私たちの作業となっていた。

機械に沿わして電線管を曲げて固定するには高度な技能を必要とした。

専属の電気工事業者が担当したので、私は見ているだけで手が出なかった。

制御用の電気配線をして動作確認するまでが請け負った仕事であった。

コンベヤーの制御配線工事

東京営業所の主要業務は、コンベヤー装置の制御配線工事であった。

コンベヤー装置には、単純なライン・コンベヤーもあるが、ここでは、O輸送機会社のパレタイザーやデパレタイザーの制御盤と制御用配線工事を担当していた。

まず、工場内で仮組み付けして、試運転調整を終わらせてから分解して輸送する。

納入先で、再度組み付けて、正式な検収試運転調整が行われる。

従って、しばしば出張があった。

私は、制御回路の設計と光センサーやリミットスイッチの設置には積み重ねられたノウハウがあることを学んだ。

退職そして普通車免許の取得

年末になって餅代程度のボーナスをもらったが、他の社員も期待外れであった様子であった。

年が明けたら仕事が暇になり、官庁入札の工事見積りを書かされることが多くなった。

私は退職時期と判断して、「私には仕事が合わない」との理由で退職した。

同僚には申し訳なかったが、この業界では社員の移動が多いので、所長もすんなり承諾された。

その後、自動車教習所へ通って普通車免許の取得に挑戦した。

学生等と較べて2倍近く乗車したので、予定外の費用負担となり、途中からはラジエータ組み立て工場のアルバイトをした。

単純作業であったので、時間経過が待ち遠しくて、私には向かない作業だと気づいたが、短期間であるので我慢できた。




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初版日時: 2017-03-10 (金) 15:32:19
最終更新: 2018-02-15 (木) 17:13:48 (JST) (4d) by hikoichi